2015年6月17日水曜日

返り点、括弧、漢文、白話。

ブロガーJ17
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(〇一)
漢文非中華人民共和国語也。以是、 中国語直読法雖盛而中国語不可以読中夏之書審矣。 如日本之学生有欲能読白文者則宜以括弧学其管到。
(〇二)
漢文は中華人民共和国語に非ざるなり。是を以て、 中国語直読法は盛んなりと雖も、中国語は以て中華の書を読む可から不ること審かなり。 如し日本の学生に能く白文を読まんと欲する者有らば則ち、宜しく括弧を以て其の管到を学ぶべし。
(〇三)
(a)漢文の補足構造は、「括弧」で表すことが出来る。
(b)補足構造を除くと、漢文と訓読の「語順」は、等しい。
(c)漢文の補足構造を「集合数」で表した時、訓読の語順は、「順序数」である。
といふ「三つの条件」の下で、
例へば、
人有喜与不如己者為友之心=
人有己者上レ友之心
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉⇒
1〈{[〔(2)3〕45]6(7)8}9AB〉C=
人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り=
人には、自分よりも劣った者と(気楽な)友達になるのを喜ぶ心がある(金沢大学入試問題)。
といふ「括弧による、ソート(漢文訓読)」が、成立する。
(〇四)
C=囗囗囗囗囗囗囗囗囗囗囗囗
B=囗囗囗囗囗囗囗囗囗囗囗
A=囗囗囗囗囗囗囗囗囗囗
9=囗囗囗囗囗囗囗囗囗
8=囗囗囗囗囗囗囗囗
7=囗囗囗囗囗囗囗
6=囗囗囗囗囗囗
5=囗囗囗囗囗
4=囗囗囗囗
3=囗囗囗
2=囗囗
1=囗
に於いて、
CはBを含み、
BはAを含み、
Aは9を含み、
9は8を含み、
8は7を含み、
7は6を含み、
6は5を含み、
5は4を含み、
4は3を含み、
3は2を含み、
2は1を含む。
といふ際の、十六進数、
C B A 9 8 7 6 5 4 3 2 1。
を、「集合数」とし、
1番目、2番目、3番目、4番目、5番目、6番目、7番目、8番目、9番目、A番目、B番目、C番目。
といふ際の、十六進数、
1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C。
を、「順序数」とする。
(〇五)
1C96432587AB。
人有喜与不如己者為友之心。
に於いて、
C といふ「集合数」は、「96432587AB」といふ「十個の集合数」を含むものの、是を以て、
1C(96432587AB)。
人有(喜与不如己者為友之心)。
といふ風に、「括弧」で括る。
(〇六)
1C(96432587AB)。
人有(喜与不如己者為友之心)。
に於いて、
9 といふ「集合数」は、「6432587」といふ「七個の集合数」を含むものの、是を以て、
1C〔9(6432587)AB〕。
人有〔喜(与不如己者為友)之心〕。
といふ風に、「括弧」で括る。
(〇七)
1C〔9(6432587)AB〕。
人有〔喜(与不如己者為友)之心〕。
に於いて、
6 といふ「集合数」は、「4325」といふ「四個の集合数」を含むものの、是を以て、
1C[9〔6(4325)87〕AB]。
人有[喜〔与(不如己者)為友〕之心]。
といふ風に、「括弧」で括る。
(〇八)
1C[9〔6(4325)87〕AB]。
人有[喜〔与(不如己者)為友〕之心]。
に於いて、
4 といふ「集合数」は、「32」といふ「二個の集合数」を含むものの、是を以て、
1C{9[6〔4(32)5〕87]AB}。
人有{喜〔与〔不(如己)者〕為友]之心}。
といふ風に、「括弧」で括る。
(〇九)
1C{9[6〔4(32)5〕87]AB}。
人有{喜[与〔不(如己)者〕為友]之心}。
に於いて、
3 といふ「集合数」は、「2」といふ「一個の集合数」を含むものの、是を以て、
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]87}AB〉。
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為友}之心〉。
といふ風に、「括弧」で括る。
(一〇)
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]87}AB〉。
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為友}之心〉。
に於いて、
8 といふ「集合数」は、「7」といふ「一個の集合数」を含むものの、是を以て、
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉。
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
といふ風に、「括弧」で括る。
然るに、
(一一)
人有(惻隠之心)=人に(惻隠の心)有り。
に於いて、
有 は、惻隠之心 に、係ってゐる。
然るに、
(一二)
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである。なんことはない。諸君が古文や英語の時間でいつも練習している、あの「どこまでかかるか」である。漢文もことばである以上、これは当然でてくる問題である(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(一一)(一二)により、
(一三)
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
に於ける
〈{[〔( )〕]( )}〉
といふ「括弧」は、
人有喜与不如己者為友之心。
といふ「漢文」の、「管到」を表してゐる。
然るに、
(一四)
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉。
に於いて、
1C)〕)}AB
を、「順序数」とすると、
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉=
1C〈9{6[4〔3(2)〕5]8(7)}AB〉⇒
1〈{[〔(2)3〕45]6(7)8}9AB〉C=
人〈{[〔(己)如〕不者]与(友)為}喜之心〉有=
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
といふ「括弧による、ソート(漢文訓読)」が、成立する。
然るに、
(一五)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(一三)(一四)(一五)により、
(一六)
人有喜与不如己者為友之心(漢文)。
人に己に如か不る者と友と為るを喜ぶの心有り(訓読)。
に於いて、「異なる」のは、「語順」であって、
人有〈喜{与[不〔如(己)〕者]為(友)}之心〉。
人に〈{[〔(己に)如か〕不る者]と(友と)為るを}喜ぶの心〉有り。
に於ける、
〈{[〔( )〕]( )}〉
〈{[〔( )〕]( )}〉
といふ「補足構造」は、完全に、「等しい」。
然るに、
(一七)
人有己者上レ友之心
人有之心
のやうに、
乙 下 二 レ レ 一 上レ 甲
といふ「返り点(レ点を含む)」は、
地 丙 下 三 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点(レ点を含まない)」に、
「置き換へ」ることが、出来る。
然るに、
(一八)
地 丙 下 三 二 一 上 乙 甲 天
といふ「返り点」は、
十 八 五 三 二 一 四 七 六 九
といふ「一二点」に、
「置き換へ」ることが、出来る。
然るに、
(一九)
十 八 五 三 二 一 四 七 六 九
に対して、
〈{[〔( )〕]( )}〉
を用ゐると、当然、
十 八 五 三 二 一 四 七 六 九=
十〈八{五[三〔二(一)〕四]七(六)}九〉⇒
〈{[〔(一)二〕三四]五(六)七}八九〉十=
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十。
といふ「ソート(並び替へ)」が、可能となる。
然るに、
(二〇)
十 八 五  二 一 四 七  九
といふ「順番」を、例へば、
十 八 五  二  一 四 七 九
に変へた上で、「括弧」を、用ゐると、
十《八〈五[六{二(三〔一)〕四]}七〉九》⇒
《〈[{(〔一)二〕三四]五}六七〉八九》十。
といふ「形」に、ならざるを得ない。
然るに、
(二一)
五[六{二(三〔一)〕四]}
のやうな「括弧」、すなはち、
{[〔( )〕]}
ではなく、
[{(〔 )〕]}
のやうな「それ」は、「括弧」とは、言へない。
従って、
(一九)(二一)により、
(二二)
十 八 五  二 一 四 七  九
とは「逆」に、
十 八 五  二  一 四 七 九
のような「順番」を、「括弧」を用ゐて、「並び替へ」ることは、出来ない。
従って、
(一七)(一八)(二二)により、
(二三)
人有喜与如己者為之心。
に対して、
人有喜与己者為之心。
のような「語順」を、「括弧」を用ゐて、
人に己に如かる者とと為るを喜ぶの心有り。
といふ「訓読の語順」に、「並び替へ」ことは、出来ない。
然るに、
(二四)
二 五 三 一 四=
二(五[三〔一)〕四]⇒
([〔一)二〕三四]五=
一 二 三 四 五。
に於いて、
([〔 )〕]
は、「括弧」ではない。
然るに、
(二五)
白話文を訓読するとどうなるのか。玉里本の中から、白話特有の構造を持つ文の訓読例を見てみよう。
端‐的看這婆‐子的本‐事
端的に這の婆子の本事を看出し来たらず。
(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、三三〇頁改)
従って、
(二四)(二五)により、
(二六)
端‐的看這婆‐子的本‐事
といふ「白話文の語順」を、「括弧」を用ゐて、
端‐的に這の婆‐子の本‐事を看し来たら不
といふ「日本語の語順」に、「並び替へ」ことは、出来ない。
加へて、
(二七)
二 五 三 一 四=
二 下 上 一 中
であるものの、
二 下 上 一 中
のやうな「返り点」は、「漢文訓読」に於いては、絶対に、有り得ない。
然るに、
(一六)により、
(二八)
もう一度、確認すると、
人有喜与不如己者為友之心(漢文)。
人に己に如か不る者と友と為るを喜ぶの心有り(訓読)。
に於いて、「異なる」のは、「語順」であって、
〈{[〔( )〕]( )}〉
〈{[〔( )〕]( )}〉
といふ「補足構造」は、完全に、「等しい」。
従って、
(二四)~(二八)により、
(二九)
人有喜与不如己者為友之心(漢文)。
人に己に如か不る者と友と為るを喜ぶの心有り(訓読)。
の場合は、「補足構造」は「等しい」ものの、
端的看不出這婆子的本事来(白話文)。
端的に這の婆子の本事を看出し来たらず(日本語?)。
の場合は、「補足構造」自体が、「異なる」ことになる。
然るに、
(三〇)
① 漢文の補足構造
② 訓読の補足構造
③ 中国語の補足構造
に於いて、
①と②は、等しい。
②と③は、等しくない。
といふことは、
①と③は、等しくない。
といふことに、他ならない。
従って、
(三〇)により、
(三一)
「補足構造」が、異なる以上、
① 漢文(文言)
③ 中国語(中華人民共和国の、国語)
にあって、
① は、「中国語」ではない。
平成二七年〇六月一七日、毛利太。