2015年2月12日木曜日

「括弧」はあります!

ブロガー肆(括弧は有ります)
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(〇一)
和文の否定は文の最後尾につきます。「~ではない」という形式です。すると、直前の語を否定しているのか、文全体を否定しているのか、別の語や句読点を補わない限り区別がつかなくなります。論理結合子が複雑に入り組んでいる「(Aならば、Bではなく、かつCである)ことはない」のような文を、自然に和文に表現するなど不可能といってよいでしょう。
(新井紀子、数学は言葉、2009年、123頁)
然るに、
(〇二)
和文の否定は文の最後につき、
漢文の否定は文の最初につくものの、
結果に於いては、例へば、次の通りである。
(〇三)
①のほうは、古注といって、伝統的な解釈であるが、
②のほうは、新注といって、朱熹(朱子)の解釈なのである。返り点をつけると、
① 不祝鮀之佞、而有宋朝之美
② 不祝鮀之佞、而有宋朝之美
このように「不」が頭にきているときは、どこまでかかるのか、ということをじっくり押さえてみることだ。
(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、326頁改)
然るに、
(〇四)
① 不祝鮀之佞、而有宋朝之美
② 不祝鮀之佞、而有宋朝之美
といふ「返り点」を、「括弧」で表せば、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕而有(宋朝之美)。
② 不〔有(祝鮀之佞)而有(宋朝之美)〕。
といふことになり、いづれにせよ、
① 祝鮀の佞が無くて、宋朝の美は有る。
② 祝鮀の佞が無いか、宋朝の美が無いか、その両方が無い。
といふ、意味である。
然るに、
(〇五)
① 不祝鮀之佞
① 祝鮀の佞有らず。
に関しては、
① 不祝鮀之佞
① 祝鮀の佞ら不
であるため、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕。
② 〔(祝鮀之佞)有〕不。
に於いて、
① は「漢文の語順」であり、
② は「和文の語順」である。
然るに、
(〇六)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。その補足構造における語順は、国語とは全く反対である(鈴木直治著、中国語と漢文、1975年、296頁)。
目的語と補語とは、それほど区別する必要がないので、両方併せて、補足語と呼んだり、単に補語と呼んだりしている(数研出版、基礎からの漢文、1993年、26頁)。
従って、
(〇五)(〇六)により、
(〇七)
① 不有祝鮀之佞。
といふ「漢文」に於ける、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕。
〔(祝鮀之佞)有〕不。
不〔有(祝鮀之佞)
不〔有(祝鮀之佞)有
を見れば、
① 不 の補語は、「有祝鮀之佞」であって、
① 有 の補語は、「祝鮀之佞」 である。
といふことが分る。
従って、
(〇七)により、
(〇八)
① 不〔有(祝鮀之佞)〕。
に於ける、
①〔( )〕。
といふ「括弧」は、
① 不有祝鮀之佞。
といふ「漢文」の、
①「補足構造」
を、表してゐる。
従って、
(〇八)により、
(〇九)
① 不〔有(祝鮀之佞)〕。
の「否定」である、
② 非[不〔有(祝鮀之佞)〕]=
② ~(~∃ⅹ(祝鮀之佞ⅹ)))。
に於ける、
②[〔( )〕]。
といふ「括弧」は、
② 非不有祝鮀之佞。
② 祝鮀之佞有ら不るに非ず(二重否定)。
といふ「漢文」に於ける、
②「補足構造」
を、表してゐる。
然るに、
(一〇)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。(産業図書、数理言語学辞典、2013年、47頁:命題論理、今仁生美)。
管到というのは「上の語が、下のことばのどこまでかかるか」ということである(二畳庵主人、漢文法基礎、1984年、389頁)。
従って、
(〇九)(一〇)により、
(一一)
② 非[不〔有(祝鮀之佞)〕]=
② ~(~∃ⅹ(祝鮀之佞ⅹ)))。
に於ける、
②[〔( )〕]。
といふ「括弧」は、
② 非不有祝鮀之佞。
② 祝鮀之佞有ら不るに非ず。
といふ「漢文」に於ける、
②「補足構造」と、
②「管到(スコープ)」を、
表してゐる。
従って、
(一一)により、
(一二)
例へば、
③ 知我不小節而恥功名不上レ于天下也。
といふ「返り点」に対する、
③ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
に於ける、
③{〔( )〕[〔( )〕]}
といふ「括弧」も、
③ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
③ 我の小節を羞ぢ不して、功名の天下に顕れ不るを恥づるを知ればなり(管鮑の交)。
③ 私(管仲)が小節を羞ぢずに、功名が天下に顕れないことを恥ぢることを、彼(鮑叔)は知っていたからである。
といふ「漢文」に於ける、
③「補足構造」と、
③「管到(スコープ)」を、
表してゐる。
従って、
(〇一)~(一二)により、
(一三)
私が、思ふに、
① 不有祝鮀之佞。
② 非不有祝鮀之佞。
③ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」には、固より、
① 不〔有(祝鮀之佞)〕。
② 非[不〔有(祝鮀之佞)〕]。
③ 知{我不〔羞(小節)〕而恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也。
といふ「補足構造(スコープ)」が、有って、その、
①〔( )〕。
②[〔( )〕]。
③{〔( )〕[〔( )〕]}
に対して、
① レ 二 一。
② レ レ 二 一。
③ 下 レ 二 一 中 上レ 二 一。
といふ「返り点」が、付けられてゐる。
(一四)
① 不祝鮀之佞、而有宋朝之美
② 不祝鮀之佞、而有宋朝之美
に於いて、
どちらの「返り点」が、「正しい」かといふ「議論」は、
要するに、
① 不〔有祝鮀之佞〕而有宋朝之美。
② 不〔有祝鮀之佞而有宋朝之美〕。
に於いて、
どちらの「管到(スコープ)」が、「正しい」のかといふ「議論」であるが、
① 有(祝鮀之佞)而有(宋朝之美)。
② 有(祝鮀之佞)而有(宋朝之美)。
③ ∃ⅹ(祝鮀之佞ⅹ)&∃ⅹ(宋朝之美ⅹ)
といふ「管到(スコープ)」に関しては、「当然過ぎる」が故に、「議論」にはならないと、すべきである。
従って、
(一五)
「直読」か「訓読」かは、日本の中国研究者にとって長年の課題であり、たえず蒸し返された問題であった(勉誠出版、「訓読論」、2008年、3頁:中村春作)。
といふことは、ともかくとして、例へば、
① 不有祝鮀之佞。
② 非不有祝鮀之佞。
③ 知我不羞小節而恥功名不顕于天下也。
といふ「漢文」であれば、
①〔( )〕。
②[〔( )〕]。
③{〔( )〕[〔( )〕]}
といふ「括弧」は、有ります。
平成二七年〇二月一二・三日、毛利太。

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