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(〇一)
① 我読(漢文)。
② 我訓読(漢文)。
③ 我常読(漢文)。
に於いて、
① 読読 は、動詞。
② 訓読 は、動詞。
③ 常読 は、副詞+動詞。
従って、
(〇二)
① 我読(漢文)。
② 我訓読(漢文)。
③ 我常読(漢文)。
の「訓読」は、
① 我(漢文を)読む。
② 我(漢文を)訓読す。
③ 我常に(漢文を)読む。
である。
加へて、
(〇三)
② 訓読 は、動詞(熟語)。
④ 精読 も、動詞(熟語)。
であるため、
② 我訓読(漢文)=
② 我(漢文を)訓読す。
④ 我精読(漢文)=
④ 我(漢文を)精読す。
である。
従って、
(〇四)
④( ) は、
④ 二 一 に、
等しいため、
④ 我精読二漢文一=
④ 我漢文一を精読二す。
である。
然るに、
(〇五)
② 訓読
といふ「熟語」は、知ってゐても、
④ 精読
といふ「熟語」は、知らないことは、有り得る。
それ故、
(〇六)
④ 精読(熟語)。
の場合は、「ハイフン(連続符号)」を用ゐて、
④ 我精‐読二漢文一=
④ 我、漢文一を精‐読二 す。
とする。
然るに、
(〇七)
実際には、
④ 我精‐読二
の場合は、「マチガイ」であって、おほむね、
④ 我訓‐読
④ 我訓二
が、「正しい」。
(〇八)
「正しい」ではなく、
「おほむね、正しい」とするのは、
④ 我訓‐読
④ 我精二
では、「ハイフンと、二の間」が、「離れすぎてゐる」からである。
然るに、
(〇九)
④ 我訓二精漢文一
とすれば、「二」が、『「訓」の右下』に来てしまふ。
然るに、
(一〇)
「世界で使われる全ての文字を共通の文字集合にて利用できるようにしようという考えで作られ、Unix、Windows、Mac OS X、Plan 9[2]、Javaなどで利用されている(ウィキペディア)」とのことである、「Unicodeの漢文用記号」に期待はしたものの、少なくとも、「Unicodeの漢文用記号」に関しては、「無いよりはまし」といふよりも、「無い方がまし」である。
そのため、
(一一)
已むを得ず、
④ 我訓‐精漢文 =
④ 我訓二読漢文一
とするものの、既に述べた通り、
④ 我訓‐読二漢文 =
④ 我精‐読二漢文一
④ 我精‐読二漢文一。
であっても、「問題は無い」はずである。
従って、
(一二)
「三文字熟語」であれば、
⑤ 奴‐僕‐視二之一。
であっても、「問題は無い」はずであり、
「四文字熟語」であれば、
⑥ 比‐肩‐接‐踵二一字一。
であっても、「問題は無い」はずである。
然るに、
(一三)
⑤ 奴‐僕‐視二之一。
に関しては、
⑤ 奴‐僕‐視之 。
⑤ 奴二僕‐視之一
が「正しく」、
⑥ 比‐肩‐接‐踵二一時一。
に関しては、
⑥ 比‐肩‐接‐踵一時 。
⑤ 比二i肩三接‐踵一時一
が、「正しい」。
然るに、
(一四)
けれども、三点の位置が逆行の原則に違反していることは一目瞭然でしょう。二点の上方ではなく下方に打ってあるのですから。
しかし、現行の返り点法では、このような付け方が主流なのです。二点「比肩」から下方の三点「接」進み、さらに連続符号で「踵」に下ろせばよろしい、というわけです。
(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、86頁)。
従って、
(一五)
⑥ 比‐肩‐接‐踵一時 。
⑤ 比二i肩三接‐踵一時一
に於ける、
二 三 一。
といふ「返り点」は、通常では、有り得ず、
古田島先生は、そのことを、逆行の原則に違反してゐる。
といふ風に、述べてゐる。
従って、
(一六)
三 二 一。
は「逆行の原則」に適ってゐて、
二 三 一。
は「逆行の原則」に違反してゐるものの、
三〔二(一)〕。
に対して、
二(三〔一)〕。
の場合は、「括弧の規則」にも違反してゐる。
すなはち、
(一七)
〔( ) を、
〔( )〕で囲むのであれば、
〔( )〕といふ「形」しか有り得ない。
にも拘わらず、
(〔 )〕となってゐる。といふことから、
二(三〔一)〕。
の場合は、「逆行の原則」と「括弧の規則」に対して、違反してゐる。
平成二七年一七日、毛利太。
(〇一)
① 我読(漢文)。
② 我訓読(漢文)。
③ 我常読(漢文)。
に於いて、
① 読読 は、動詞。
② 訓読 は、動詞。
③ 常読 は、副詞+動詞。
従って、
(〇二)
① 我読(漢文)。
② 我訓読(漢文)。
③ 我常読(漢文)。
の「訓読」は、
① 我(漢文を)読む。
② 我(漢文を)訓読す。
③ 我常に(漢文を)読む。
である。
加へて、
(〇三)
② 訓読 は、動詞(熟語)。
④ 精読 も、動詞(熟語)。
であるため、
② 我訓読(漢文)=
② 我(漢文を)訓読す。
④ 我精読(漢文)=
④ 我(漢文を)精読す。
である。
従って、
(〇四)
④( ) は、
④ 二 一 に、
等しいため、
④ 我精読二漢文一=
④ 我漢文一を精読二す。
である。
然るに、
(〇五)
② 訓読
といふ「熟語」は、知ってゐても、
④ 精読
といふ「熟語」は、知らないことは、有り得る。
それ故、
(〇六)
④ 精読(熟語)。
の場合は、「ハイフン(連続符号)」を用ゐて、
④ 我精‐読二漢文一=
④ 我、漢文一を精‐読二 す。
とする。
然るに、
(〇七)
実際には、
④ 我精‐読二
の場合は、「マチガイ」であって、おほむね、
④ 我訓‐読
④ 我訓二
が、「正しい」。
(〇八)
「正しい」ではなく、
「おほむね、正しい」とするのは、
④ 我訓‐読
④ 我精二
では、「ハイフンと、二の間」が、「離れすぎてゐる」からである。
然るに、
(〇九)
④ 我訓二精漢文一
とすれば、「二」が、『「訓」の右下』に来てしまふ。
然るに、
(一〇)
「世界で使われる全ての文字を共通の文字集合にて利用できるようにしようという考えで作られ、Unix、Windows、Mac OS X、Plan 9[2]、Javaなどで利用されている(ウィキペディア)」とのことである、「Unicodeの漢文用記号」に期待はしたものの、少なくとも、「Unicodeの漢文用記号」に関しては、「無いよりはまし」といふよりも、「無い方がまし」である。
そのため、
(一一)
已むを得ず、
④ 我訓‐精漢文 =
④ 我訓二読漢文一
とするものの、既に述べた通り、
④ 我訓‐読二漢文 =
④ 我精‐読二漢文一
④ 我精‐読二漢文一。
であっても、「問題は無い」はずである。
従って、
(一二)
「三文字熟語」であれば、
⑤ 奴‐僕‐視二之一。
であっても、「問題は無い」はずであり、
「四文字熟語」であれば、
⑥ 比‐肩‐接‐踵二一字一。
であっても、「問題は無い」はずである。
然るに、
(一三)
⑤ 奴‐僕‐視二之一。
に関しては、
⑤ 奴‐僕‐視之 。
⑤ 奴二僕‐視之一
が「正しく」、
⑥ 比‐肩‐接‐踵二一時一。
に関しては、
⑥ 比‐肩‐接‐踵一時 。
⑤ 比二i肩三接‐踵一時一
が、「正しい」。
然るに、
(一四)
けれども、三点の位置が逆行の原則に違反していることは一目瞭然でしょう。二点の上方ではなく下方に打ってあるのですから。
しかし、現行の返り点法では、このような付け方が主流なのです。二点「比肩」から下方の三点「接」進み、さらに連続符号で「踵」に下ろせばよろしい、というわけです。
(古田島洋介、これならわかる返り点、2009年、86頁)。
従って、
(一五)
⑥ 比‐肩‐接‐踵一時 。
⑤ 比二i肩三接‐踵一時一
に於ける、
二 三 一。
といふ「返り点」は、通常では、有り得ず、
古田島先生は、そのことを、逆行の原則に違反してゐる。
といふ風に、述べてゐる。
従って、
(一六)
三 二 一。
は「逆行の原則」に適ってゐて、
二 三 一。
は「逆行の原則」に違反してゐるものの、
三〔二(一)〕。
に対して、
二(三〔一)〕。
の場合は、「括弧の規則」にも違反してゐる。
すなはち、
(一七)
〔( ) を、
〔( )〕で囲むのであれば、
〔( )〕といふ「形」しか有り得ない。
にも拘わらず、
(〔 )〕となってゐる。といふことから、
二(三〔一)〕。
の場合は、「逆行の原則」と「括弧の規則」に対して、違反してゐる。
平成二七年一七日、毛利太。
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